雪の山

ほんとうの平和って?

おうち仕事のふたんをどう和らげるか?

「ひとりでがんばんないで、家族に手伝ってもらって」あれはたしか二人目か三人目のお産のあと、手伝いに来てくれてた父母たちやお手伝いの人も高齢化して頼めなくなり、わたしたち夫婦もある程度慣れて暮らしていたときのことであります。

あんまりしんどくて窓口を、開設していたところに電話したのです。
しかし、やるべきことは言われてもそれを遂行するノウハウが届かなくて。

最近になって改めて一人でがんばらなくていいをどう協力してもらうか?
今朝の思い。あんまりやりすぎない。

昨日結婚指輪を家の中でもはめた。

アレルギーがあって刺激の強いものを避けるために、外出の時人目につく時にのみはめていた。

茶道の世界では、木や漆、陶器でできた大切な茶道具を鋭い金属で傷つけないよう、

武士が刀を外してにじりいるのと同様、
指輪も外して茶道をするものだった。

そのくらい茶道具は大切にされていて、基本ネールもNGだったから、
今の若者の多くがなじまないのも
仕方ない。

そこにある良さを教えて上げられないのが
わたしの、不徳です。

それで、
子どもたちがよくダイエットしなよ、って見せてくれる動画。

もうみてくれなんか、あきらめて暮らしていたのでそんなに取り合わなかったけれど、
やはり保護者会であんまり時代感覚と合っていないと恥ずかしいらしい。

中には卒業式も、来ないでくれという生徒さんもいるそうだから、
案外深刻だったり、大事なことだったりするのです。

フランシスコローマ教皇さまが88歳の長寿を全うされて天に召されたあと、

同じくフランシスというミドルネームを持った教皇さまが推挙された。

なんとアメリカ出身
わたしアメリカには何度も行ったことがあって、
とても嬉しい。
レオ様って言うお名前もわたしはしし座だから、
私のことみたいで嬉しい。いや。そんな人たくさんいるのですが。

銀座三越の入り口にもたてがみを持ったオスライオンが2頭控えていたり。

ピアノの先生の家の鉄の扉の取っ手がライオンだったり。

有楽町ライオンで、明主様のみあとしのびての打ち上げにみんなでビールで乾杯した日があったり。
レオというのはイエスが生まれて布教していた時代に流行った名前なのだそうです。

幼稚園から小学校にかけて入っていた水泳クラブは西武ライオンズクラブが運営していて、
ホワイトライオンが来ていたり。

わたしは昼間っから寝ているライオンの
ゆったりしたところがだいすきで。

むしろ真昼間に活発な人たちの群れに置かれると病気になるくらい疲労してしまう。

今の御神業では、何月何日に、ということが大変重んじられています。

そして、ペンテコステ聖霊が降りた日というのが毎年何月何日にあるか?というのは、曜日によって決められるのです。

13日の金曜日は、イエスが贖った日、
決して不吉として受け止めるものではないですよね?
罪なきものとしてくださった、そのために必要な大変なことを。
エスのおとうさんが、
それをわたしたちのために成し遂げさせられた。
そのことを改めて受け止めたいです。

失くし物づきあい〜おたがいに助け合い、いたわりあい

こんにちは
ハートのツツジ、かわいいでしょう?
濃い桃色の中にたったひとつだけ薄桃色の一輪が咲いているんです、見つけましたか?


探し物はなんですか?見つけにくいものですか? カバンの中も鏡の中も?探したけれど見つからないの

まだまだ探す気ですか?それより僕と〜


井上陽水さんのこの曲が何度も頭を巡るこのニッポン。

音楽ギョーカイ一体ど〜なんてるんだよぅ!
とツッコミ入れたくなるような歌詞である。

家族がいると探し物を、一緒に、探す。
その日の動きを一緒に、思い出して探す。
警察に届けたり
遺失物としての登録から探したり、
祈ったり委ねたり。

回数多いと振り返りの、時間を設けたり、
御神業に改めて向き直ったり。

見つかると嬉しい。
見つからなくてカードを新しくすると
手数料がかかったり、
新しいカードが届くとかする。

物を失くすことを、厄払いとして済ませるくらい忙しいこともある。

しかし万物はわたしたちひとりひとりの生命です。

おい。井上陽水さんよ、
しっかりしてください!
って、言いたくもなるのである。

あんな曲で売れるなら、世界情勢についてもっとご自身の、見解を発信すべきなのでは?

してらっしゃるのか存じないけど
少女を惑わす音楽の意味を正義があるのなら、
語ってほしいなっと。

悪いとは言わないし罪だとも今わたしは定めていない、けれど分からないんです。

カバーしていた中森明菜さんオシャレだけど幸薄そうにみえたり。

でも貧困とか飢餓とかそういった不幸ではない。

あんな信心を明らかにしたアメリカのエルビスだって、色々あったとあるけど、
彼には信念があるものね。

音楽好きなのに夢中になれないんだよね、
その道に進みたいのに、悪いことみたいに感じてしまうんだ。

なぜだろう?

おとうさん

はっきり言っておく あなた方は幼子のようにならなければ天の国を見ることはない

2千年前イエス・キリストが弟子たちにお話くださった天国の福音をわたしたちは時を超えて宗教を超えてお受けしています

私の生家には仏間の隣にピアノが有って、
その前に家の中心の床の間には御神前があるのですが、

来客の多くは、仏壇に供え物をなさる方が多くて、思いは先祖に、多く集まるのです。

わたしには罪があります。
それは4代教主様がご推戴の時、わたしとても
その会場にいたかったんですが、
ご参拝の機会を得なかったんです。

それで、そのことを、後から教団機関誌で読みまして、そこに掲載されていた祝詞を神前ではなく仏壇に奏上したのです。

みたまやには、かつては特別の日にしか善言讃詞を奏上しないようにと教団誌に載っていたましたから、
もしかしたら赦されていたのですね。

だってわたしのうちに来る人で神前に参られるのは、先生方くらいなものですから。

思い出しました。
まだ御神体が今の形になる前、
法事をお寺さん呼んで親戚らを呼んで催行していた時、
今の神前となっているところに
御経の大きな掛け物が掛けられて
法要が営まれました。

布教師が布教しなければ私のうちは仏間が神前に変わることは無かったのです。

そのあいだの部屋に実は父母が結婚した時の
誓詞と母とわたしの着た白無垢があるのですが、
父母の宣らせられた誓詞には、出雲大社の神への誓いが描かれていました。

私たち夫婦はありがたくも成って、
明主様の御神前で誓詞を二人声を合わせて
奏上させていただいたのを今思い出します。

今年は昨年しゅうと、しゅうとめがダイヤモンド婚を迎えて翌年の61年目。

結んで開く年。
その10日後の6月20日が私たち夫婦の結婚した日なので、計算の遅いわたしでも今年は15年目であることを思い出したのです。

恥ずかしいことって当然あるのですけれど、
そんなことを言っていられない世界が
あることに日常的に心を、向ける人は
女性にはあまり多くないのかな?と。

父の影響で、
恥ずかしいとき困ったとき悩んだとき、
世界の苦しむ人々のことを思うことで
乗り越えようとする心が育ちました。

日本には恥の意識が、語られますが、
オープンなブラジル人気質のこと、
アメリカの人たちの結論から物を言うはっきりしたところ、
イギリス人の個人主義の中にある心落ち着く場所、

オーストリア人の、音楽とコーヒー、絵画、
芸術を日常的に愉しむ心、
それらを分からせていただきました。

教主後継者であられる真明様がおっしゃいました。
「いつになったらおとうさんに感謝するんだ」

わたしたちはそのおことばをお受けしなければならないと思いました。

昨日ストリートピアノを弾いていて、今ひとつ盛り上がらないと感じていた時ふと、
母が練習用に買っていたシニアのピアノ曲集を弾いてみようと思い立ち、
それを弾いたところ

雰囲気や空気が一変して和やかなムードが漂ったんです。

やはり長い時間かけて醸成されてきた名曲は
弾き手を助けると言いますか、
ほんとうに楽しかった。

その後おじさんたちが普段着の話し声で話しながら館内に入っていったり、

少年たちがピアノを、披露したり。

とても上手でわたしも習ったけど暗譜してない曲を、スラスラと弾いていて本当にすごい!と尊敬しました。

幼稚園の観劇会の帰りのお子さんたちが弾いたり、

会社勤めの若い女性がポップスを弾いたり。

むすこもこの前ポロポロと、弾いたのですが、
とてもいいのです。

むすめも曲を、覚えたり音符読めないころ
やはりポロポロと弾くのがとても良かったのです。

心で奏でる心の曲。

心の語らい。

表面化しない意識下の世界。

恥ずかしいという一見ネガティブな想いは、
神さまを、お出ししてください、という生きている先祖からの強いメッセージなのですね。

合掌

美なるときも、醜なるときも、認知症と共に歩む

こんにちは

神宮外苑音楽祭の帰りであります。

たいへん良い経験をさせていただきました。

余白の美、
言外の語、

音楽っていいですね

長い事親しんできたポピュラーソング、アーティスト、何度も聴いた曲、思い出のあるナンバー、
改めて新しい発見をしたり、
わたしも演奏練習したいと、
意欲をかき立てられたり、

いい刺激をたくさんお受けしました。

一緒に行った母親がトイレに立ったきり元の席に戻ってこれなかった、そんなハプニングを期に

改めて日頃の想念の在り方を点検させられました。

心を向けやすいことにばかり心を向けて、
自分は正しいこと良いことをしていると自負するあまり、

人の間違いに無関心となったり
祈り方を忘却している姿が無かったか?と
今一度考えさせられました。

なぜ精一杯やっているの、神さまこんな目に遭わせるんだろう?
判断間違ったかな?などなど

最後に閉幕してからスタッフさん、電話連絡くださり、母を連れてきてくれました。

ほんとうに感謝です。

「あなた方は赦されてないと思っているのですね?赦されているのですよ」

そんな想念に至ったとき、
意識を取り戻す感覚が起きました。

心配掛けたり祈り合う家族、そこにお働きくださった神さまに感謝しております。

幽体離脱

只今は木枯らし吹く厳しい寒さに見舞われながらも、全国で未だ被災している方々や、家を持たない方々や、充分な暖房器具の供給を受けていない方々のしあわせと健康をお祈りさせていただきました。共にメシアのみ名にあって、すべてとともに教主様のみもとにある天国に迎え入れてくださり、明主様のみもとにある溢れんばかりの愛に浸ることを祈ります。

 

昨日たまたま友人と話している時に幽体離脱した人の話がでたので、わたしも思い出して話したところ改めて新しい発見をしたので書いてみようと思いまして。

 

あれは十代の終わり17、8の頃だったと思う。

突如家にいると布団の上で、胸が非常に苦しくなり、ボンッと、仰向けになったまま、わたしはその視線の見つめる先の天井の端っこにへばりついていた。

わたしの意識は天井にあって、抜け殻のようになった自身の肉体をぼんやり見いだした。

その当時は積年の学業による激しい疲労と学校生活のハードさによるストレス、

数え切れないほどの混乱を呼ぶアクションにより疲労がマックスになっていた。

 

その時幽体離脱って楽なんだ、というのがホントの気持ち。

もうこの肉体に戻りたくない、とさえ思った。

一端肉体を離れることで助かった、と

手放しに喜んでいいのかもしれない。

その頃家族に宗教に入っていた者もあったから、何らかの供養や祈りの結果かもしれないが、そのことがどんなことで起きたのか?明らかにはされていなかった。

 

深い安らぎとはこのことなのだ。

 

あの当時もう一つ印象に強く残っていることがあって、他の3人の家族からひとり離れて全然違うところにいるというすごい寂しさが襲ってきて涙が止まらなかった。

 

階段を降りて、神仏の部屋のある階のピアノで、キロロの未来へとか、母への想いとか歌った楽譜を置いて弾いて、魂の癒しを求めた。

 

段々信仰の道がひらけるに従って、お嫁に行くからひとり離れるんだ、と前向きな想いが湧いてきた。

 

宗教の指導者の中には先祖が、みんな入っていてお供え受けているはずの仏が滅するという人がいて絶望と、そうではないものがあるのに、わかっていないようだと、困って悩んでいたりもした。

 

その人にもわたしから取り次ぐ機会を得て、時所位にあった御守護が現れたと思う。

 

浄霊を取り次ぐことも受けることも許しや許されごとという人がいて、受けてもらえないことに苦しんだりもした。

 

自分のことができなくて。

 

まあ、そんな中で寛容とか介護とか人の良いところを見出す忍耐とかを主に培っていただいた。

 

悔い改めは、簡単には表せない。

でも当然あるものである。

おしまい

福島のスパリゾートハワイアンズに行ってきました

こんばんは。

喫茶去している現在です。

外は紅葉していた木々の葉もだいぶ乾燥するようになって、土の上に天然のラグが敷かれています。

 

先日は東北いわきに初めて家族旅行に行ってまいりました。

 

海に沈んで未だ見つからない人々のことにほんの少しの時間ではありますが、想いを馳せ、ご遺族の方々が心和み落ち着きホッとする生き方を見出せますように、と祈りました。

実際救われたい霊が来て落ち着かないかな?と旅行ほんのわずかの心配が起きたのですが、福島とても、良いところでした。

事前につれが予約していたショー、何度も観たようで、サイド席ですが、最前列を取得できました。

わたしならそんな席取れないのに、配偶者というのはありがたいものだと、多くの人たちに“至らないところを補い助けてくれる”結婚の在り方というみめぐみが分け与えられますように、との教主様の願いを改めて思い起こし復唱させていただきました。

 

浮き輪を使ってのスライダープール

子どもと一緒だとスピードが加わりより楽しかったです。

バイキングは、野菜が豊かでとても美味しかったです。

夜の与一の露天風呂は、家の障子越しに観るような趣向で、ストーリー性のある影絵を楽しめます。

古い小道具があちこちに有って、タイムスリップしたような楽しさと江戸の世界観に浸る“心裕か”な憩いのひとときを味わせてもらえました。

プールも複数のフロアーに分かれて存在しており、4階3階と、温泉♨️に入って温まりつつ過ごすことができます。

ハワイの景色を思い出し、日本のハワイを愉しみました。

東北の魅力を改めて知り、一家先祖共々喜びで一杯です。謝謝。

父母に対してのかんしゃ

すっかり紅葉した木々の豊かさの中で、12月に入り、クリスマスの準備がいよいよ本格的になりました。楽しみで仕方がありません。

 

韓国人布教師が教会にいかにもトレンディ韓国映画に出てきそうなハイセンスな

ツリー飾りを作っていたのに刺激を受けて、わが家では大きなツリーの代わりに刺繍やリース、アドバンストカレンダー、マクラメのストラップ作りをしてきました。

今も製作は続いています。

 

ところで、17歳の頃、早稲田大学という日本の一流大学の学生たちに混じって演劇を教わっていた頃、彼らの強さの秘訣の一端に触れたことを思い出して書き留めることにしました。

まずとても前向きで明るい。考え方が建設的で、後ろ向きなことを言わない。

ネガティブなことを言わない。

問題に直面してもすぐに案を出せる。

難なく考えを継続できるなどなど。

その土台となっていることについて、このことかな?と思ったのは、

育ててくれたお父さんお母さんに対して恥ずかしげなく感謝してその恩を喜び口々に表現していたこと。

お父さんお母さんのことが大好きだったこと。

まあ、そんなことだな、と思います。

わたしも父母先祖への感謝をおいおい遠慮なく綴らせてもらおうと思っています。

 

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よろしくお願いします。