SeijyoMadorenu’s blog MIEKO

身近な平和から、日常生活に発見した神の子メシアとして永遠の命に生きる喜び、感謝

「日本人と精神病」の聖言に際して

明けましておめでとうございます🎍🎍

マドレーヌです。

今年はうさぎ年、アンゴラウサギのふわふわの毛に触れてみたいです ̄(=∵=) ̄。

ところで、心を病む人は相変わらずいらして、世の中でしているケアも昔よりずっと良いと思いますけど、そればかりでなく、神さまの方では、精神病について、どうお話なされているかを勉強した体験を報告させていただきます☺️🎍

わたしは中学高校の頃は、日本文学の美しさにはまり、文学少女でした。

川端康成や、島崎藤村高村光太郎ヘルマン・ヘッセや、中勘助泉鏡花など、学校で紹介された本を中心に楽しみました。

しかし、自分の興味や周囲の影響によって、現代の本を選び読み進めていくうちに、物語に感情移入をしてました。

そのことが、重なるうちに、心の病の種みたいなものが育ったのでしょう、人として大事なことを忘れてしまったのです。

先祖や多くの人々の綜合体で有るために、自分でない人格が出てきて、演劇をしている時に多重人格になってしまったのか?と戸惑うことも有りました。

けれどそれは、天国がすでにわたしの中に有るから、安心してそこに憩う先祖が現れている、と思えるわたしに変えていただいたのです。

当時は先達より浄霊を受けて、魂が目覚める内に、文学の多くが、罪の懺悔でしかないことを知りました。そこに悔い改めもなく、おしゃれにした罪の世界に自覚無く遊ぶうち、道を踏み誤りそうになっていたように思います。

聖さの一点もないような世界にのみ込まれている姿に気づいたとき、本を売ったり処分したりして、代わりに御神書を増やしていくうちに、明るく健康的で、人を思える人に変わっていきました。

(今はそういう時期ではないのですが)

教団で打ち出された自然食自然農法に取り組む一方で、大学卒業近くなると、日本社会で、身を立てることの難しさに直面しました。

住まいとなるマンションも当然買えそうになく、先輩たちがしていたような会社勤めがかなわない将来の見通しの立たない状況に、御神書が無ければ失望していたと思います。

でも明主様ご自身が、借金を抱えていらしたこと、その借金の返済を諦めてから、入りだしたこと、執着が原因だったことなどを知るうちに、お金は世のため人のため、神さまに救いに役立てていただくことが大切であると分からせていただきました🍀

それまでまじめに宗教らしい宗教活動をしたことの無かったわたしには当時それしか術が有りませんでした。

親からもらうお金には大概人の妬みの想いが入っているとか、株で得たお金には多くの人の羨みや損した人の恨みの想念が入っていて、効率よくは使えないことを知りました。人が言いにくいことを、明主様は、ばっさりとはっきり書いてくださっておられ、ほんとうに救われることが書かれていました。

その影で、母が祖父母の遺産を先達の度重なる勧誘により、無くなるまでみんな献金していたことを知りました。

社会や世の中で成功していた母がわたしの病気を機に、神さま、先達に頭をさげ、下っ端の御用になった姿は衝撃でした。

宗教に入ると、0からやり直さなきゃいけないなんて、かわいそうだとも思いました。

一方で、わたしは三代教主様に出会わせていただいた感動から、そんなことも露知らず、元気になってアルバイトもできるようになると、

入ったお金を神さまに天国建設、聖地建設、感謝や、玉串のためにお捧げする度、体が軽くなったり、喜びや希望が沸いたりする経験をしました🍀

献金のあまりの気持ちよさ、すっきりする感じに、言われた額より多くしてしまい、はまりすぎてしまったほどでした。

自分だけでなく、先祖や自分に繋がる人々の罪や穢れも赦されるということで、お祈りしながら、委ねながら、楽しくやっていました🍀

神さまに上げたお金は10倍とか20倍になるとお話を伺ったことも有り、世の中の経済の仕組みに関しての見方も次第に育てていただきました。

とにかく人間にとってとても執着の湧きやすいお金というものを、神さまのものでした、とお返しすることで、明主様と、太く強く繋がれる希望が生まれ、運命が好転する経験を重ねました。

 

それまでのわたしは、何をしても、完全ということは有りませんでしたが、この道なら、永遠に続けられると思うようなものでした🎍🎍

明主様が大好きになり、聖地奉仕も聖地参拝もよくさせていただきました😊

今は万物に含まれる自我意識を、自分のものとしていたことをお詫びしつつ、

神さまのものとしてお返ししているところです。

 

では今日はここまで、

ハイ、サヨウナラ😊❤️