SeijyoMadorenu’s blog MIEKO

身近な平和から、日常生活に発見した神の子メシアとして永遠の命に生きる喜び、感謝

聖言 神性人間 のみ心の一端に触れて

 

こんにちは、マドレーヌです🌼

コロナ感染が減らない中、世の中は静かなお正月を迎えていますね。

一説によりますと、自宅に籠る人が増える中で情報量が爆上がりしたための影響が何か出ているのだそうです。

そんな中、父は未だガラケー携帯を使用しておりますし、母は、スマホは持ったものの、インターネットの検索すら覚えておりません。

正直フレッツ光みたいなものも導入できず、通信料が上がりそうでちゃんと教え合ってこれなかったというのが、正直なところなのですが。お年でもう遅いと言いますか。。。

お化粧品でさえ、わたしはコロナで生活が落ちつくまで買えなかったのですから、察していただきたい。

 

コロナウィルス流行の少し前、教主様に尾行盗聴盗撮のような嫌なことをする、当然信徒に対しても同様なことをする、そんな宗教団体から、教主様が立ち上がってくださり、わたしたちを解放してくださいました。

知ろうとするから、知ることができない、知ろうとしなければ、知ることができる、そんなことがあるみたいなのです。

わたし自身、コロナ流行といっても、ずっと余裕で何にも怖くはなかったのですが、娘が最初に感染して以来、改めて、明主様のおっしゃる病気はみ恵みであることを、実感させていただいております。

 

そんな中、人間は忙しいとき、困難な時には間違えてしまうものなのだな~、と今朝気付いたのです。

実家は、インターネットをしないので、ほんとうによく父母はまめに万物に働きます。

帰省するとそこの椅子がじゃまだからどかそうとか、布団をこっちに敷いた方が広々するとか、お正月料理のお膳立てにしても、お茶を長くしていて、先生の資格も持っている母は、美にかなうことを分かっていてよくやるのです。

昨日は、母に、わたしが夫とケンカしているのか?尋ねられ、否定したのですが、ケンカしているみたいに見えるみたいなのです。

そういえば、父母はとても仲がよくて、昔から二人で杵と臼でお餅つきしているみたいに、感心するほど息が合っているのです。

気持ちのいい夫婦なのです。

若い時は試練も大きかったけど、憧れてしまうものがあるのです。

実はわたし、子どもの時には良くできる母にコンプレックスを抱きがちで、憧れだった清水の夫婦愛の美しい、仲人を良くした祖父母の姿に自分を寄せていったのです。

大きくなって結婚を考えた時、祖父の安心感のある愛をまずは得たくて、安らぎのある家庭を目指しました。

(体の弱かったおばあちゃんのお世話をおじいちゃんはよくしていたから。)

そんな中、娘も大きくなり、毎日おしゃれを妹と仲良く熱心にしている、そのことに付き合ううちに、自分も若返っていたようなのです。

神さまに出す御祈願書を、間違えてしまっていたようで、そのことに、今朝気付いたのです。

だけれど、そう簡単に間違えました、正しいのはこうです、と再送できない、万物の状況があるんですよね。

真明様がおっしゃるように嫌な上司がいて、帰りたくない、というのが、どこか根底に有るものですから、それが棒となって、御神意をお受けできていなかったのか、そのことを、先日先生にご指摘を受けました。

せっかくの勉強会のお話もリモートでよく聴こえず、途中を抜いて聞いてしまったのが、いけなかったのかな、と思うのですが、何か聞かせてもらえない、働きがあったのです🍀

教主様が、ある日の祭典のお言葉の中で、「奉告をさせていただいてなかったのではないでしょうか?」とお話くださったことが、ほんとうの気付きで、以来大切にしているのですが、奉告というのは、わたしたちが想像する上司にする昨日これをしましたとかいう報告というイメージの人間中心のものではなく、単にたとえば、神さま、あなたによって、わたしは人間とならせていただきました、言って、一対の魂としてくださったそのことをお見せして奉告させていただくことなのだそうです。

それは大変なみ恵みであると思うのです。

そのことがすでに成し遂げられたのです。

だからこそ、日常生活では、人類の救いのために、主の栄光に照らし出された影を強烈に見せられていなのです。

お受けできない思いも、多くの人類の想いでした、お返しします、とさせていただく。曇りを感じた時、お喜びください、多くの人類が天国に立ち返ってきました、と、神さまに申し上げる、そんな日々の実践が大切なのかな、と思います。

 

実は夫が何を考えているのか、分からないことがあるのです。

 

聞くと家族のこれからの予定を計画してくれていたり、必要な買い物をインターネットでしているようなのですが、

パソコンひとつでしているので、時々良からぬ想像をしてしまうのです。でもそれも良いことなのだ、と思うようにしているのです。

なんせ今は全部をご自身の元に立ち返らせて、第2段階の創造の段階だそうですから。破壊も始まったとのこと。誰の中にもあるものなのだけれどもね、という前提でお受けする、ことが大切なのだそうです。

ところで昨年のある日近所のママ友が、幼稚園バスの送り迎えの帰りに、日本は、天候の試練が大きいと驚いていました。

シンガポールは、一年中温かくTシャツサンダルで歩いていて、ネイルサロンも安くて全然ちがうのだそうです。

そういえば何年か前ハワイに行った時、服装の身軽でいられることに、ずいぶん楽だな~、と感じたものです。調節しなくていい気楽さと主との契約の証である虹を日に何度も見られる楽園ハワイはほんとうにすてき、ハワイを拓いてくださった明主様に心から感謝しています。

一方日本の歩みは、どうかといえば、

たとえば、茶道ともなれば、道具も多いし、炭に火を着けたり、木炭の入れ方ひとつにも順序と、なぜそういう所作をするのか、はっきりとは明かされなかった決まりごとがあって、日本の生活って、ほんとうにまめまめしいものだな~、と思うのです。

現代社会ではほとんど実行不可能とさえ思える節もあるのです。

子どもの時、静岡の祖父母のうちに帰ると、あ~、人間らしい暮しだなあ、日本家屋のこういう暮らしがまともな人間性を培うのだなあ、東京はすごいな~、と子ども心にも感じたものです。

祖父はひとり早起きして、庭の手入れをする、昼間は裏の流しで食事の合間に刃物を砥石できれいに研いでおく。

お風呂ばのタイルの隙間にカビが生えるのと分かると、ある日硯ですった墨を、そこに塗っていたのに驚いたことが有りました。

祖母は来客をみんなで座ってもてなす、物を上げたり、買い物してもらったり、互いのできない点を補い合い助け合いながら、暮らす。

縁側にやってくるクリーニング屋さんもいつも機嫌が良かったり、祖母もシーツや祖父のワイシャツを惜しみ無くクリーニングに出していたり、そんな明るい暮しが大好きでした。

お庭で枯れ葉を祖父と半日も1日も掛けて木々の足元に集めた後は、車停めで、アルミで包んだジャガイモやさつまいもを、焼いて、それもお手製の竹で作った火吹きで吹きながら火を起こして、楽しかったのです。

弟が生まれれば弟の木である松を一緒に植えて、小さなその苗が踏みつけられないよう、細い竹で屋根をつけてやったり、そんな細やかな気遣いが野蛮な獣性を、人から抜いていたのだと思うのです。

魚を主に食べる土地柄も有ったとは思いますが、武内の宿禰みたいでなんだか楽しかったのです。

朝おじいちゃんは早起きして、石鹸の匂いのする清潔な手で、果物ナイフで何かしらわたしの喜ぶ果物を切って嬉しそうに食べさせてくれるので、その暖かい心を今でも忘れないのです。

そんな心のゆとりを、この今の現代社会でも、育てていきたいのです。

 

ハレルヤ、amen🌟👼❄️🌈🌴