SeijyoMadorenu’s blog MIEKO

身近な平和から、日常生活に発見した神の子メシアとして永遠の命に生きる喜び、感謝

10万円

こんにちは、マドレーヌです。

今日コンビニでフォションと榮太樓飴のコラボ紅茶キャンディを見つけたので、買ってみました🍀

売れているみたいで、わたしの買ったので店頭では最後でした。

子どもにトイレを貸してくれたので、お掃除をしてくださるであろう若い店員さんにもお裾分けをひとつずつですが、いたしました。

そのことを通して、ほんとうに何気なく使用している場所でも、準備や後始末をしてくださっている神様がおられることや、待っている間、商品という万物に込められた楽しいメッセージや想いに気付き、短い時間でしたが楽しく過ごすことができました。

タイトルの10万円というのは、お題スロットで出てきたのですが、10万円あったらどうするかな?ということに想いを馳せてみたのです。

最近韓国の徴用工問題で、寄附金での和解の提示が韓国側からされていて、日本への呼応や理解を求められているという記事を見ています。

深い事情は?ですが、というのも、日本人もただ働き経験は有りますから、中々応じづらいだろうな、と思ったり、日本人にお金を出させるには、手段がうまくないな、と思ったりしたのです。

以前、アメリカの大学院で勉強した近所のお母さんの講座で、売れる広告の作り方のレクチャーを受けたのですが、あちらの人々はターゲットを絞って、効果的な広告を考えて出すのだそうです。

日本で特定の階層に胸を打つような広告といったら、、、

お金目的な広告を敢えて出さないのは、キリスト教を布教したい想いなのかもしれません。実際韓国の日本に対するアプローチは、誠実なもののようにも見えます。

神さまは美味しい韓国料理を食べられるようにしてくださり、キリスト教を熱心に布教されている方々もたくさんおられますし、K-POPアイドルは日本人大好きですし。

沖縄で米兵と島民の結婚が進まなかったのと同様なことが、日本人と韓国人にもおきているのかもしれません。

実際日本人男性は、イタリアフランスに行くと日本人女性に見向きもされないと聞きますし、反対に日本人男性と韓国人女性の交流も、進んでいるのかもしれませんね。

その反対もしかり。

だからこそ、慰安婦問題やヘイトスピーチなどの闇の部分が照らし出されていたというのが、真実だったのかもしれません。

わたしたちはニュースを見る時、影を強烈に見させられ、マイナスな想いを留めがちですが、その湧いてくる想いを委ね、その想いを湧かせておられる神さまにお返しすることで、そこに浄めの力が働いていることや、御神意があることに気付かないといけないな、と、改めておもわせていただきました。

ところで、10万の使い道ですが、、、

本は図書館で借りられるし、景色は神さまのものだし、、、といっても、好きなものほど、自分のもののようにしてしまっていますが、これも神さまあなたのものなのですね、といってお返ししていくことを、忘れないようにしたいと思います☺️

愛するということの本質は自分のものとすることだと、教主様から御教導いただいておりましたが、最初それは意外なことでした、そのことが罪であることを教えてくださり、お返しして謙虚になる道を示してくださいました。

まあとは言っても行ければエステに通いたいし、Oisixのお野菜やお惣菜セットを食べたいし、表参道や銀座の美容院に行ってみたいし、北欧でオーロラを観たり、サウナしながらDOM DOMバーガーを食べてみたいし、

森の中のサウナに入ってみたいし、トルコにも旅してみたいですね!

エジプトの遺跡やミイラを見てみたいです。クレオパトラについてもっと知りたいです。

でも旅行は10万円では間に合いそうにはありませんね!

これから内職をしながら作戦を練りたいと思います☺️アーメン🐢🐢🐢🐢🐈🐈🐈

信仰について

こんにちは、マドレーヌです。

信仰について、分からないからできない、と考える人がいますが、分からないながらもさせていただこう、という心を大切にすること、それから、もし、分からない原因があるのならば、その原因の世界というのは、天国なのですから、そこに立ち返ることが、大切であると思います。

教える人はその人の立場やその人が負っているものがあるから、そこが見えないと

、なぜそういうことが言えるのか?となることもあると思うのですよね。

わたしの場合も、教団が出してきた方針に従い、その時の教主様や代行者の方々と救いの御用に歩ませていただこう、とやってきたのです。

けれど神さまはそういった大型拠点中心の在り方だけではなくて、家庭で養いを受けている人々にも、相応しい養いとその人にしかできない救いを用意してくださっていると思うのです。

だってそう思わなければ、ただ拠点に行った回数が多い人だけが、神さまのみ心に     叶ったということになります。

その結果誰がお受けした、誰がお受けしなかったという世界になりますよね。

 

そうではなくて、世界中どこにいても神さまはそこに働いておられるのだ、と認めること、建設の御用にお仕えすることが、大切だと思うのです。

そういうところに人を思う心が育つと思うのです。

もちろんお受けするのに、大型拠点に参拝することに越したことは無いのかもしれませんが、そのことに懐疑があるのであれば、そこを今赦してくださったのですね、とお受けする道も用意してくださっていると思うのです。

あいつが憎い、という感情を救いとしておられる神さまがおられるのです。

赦されざることをしている人をわれわれ人間が許さなくてもいい道を神さまは用意してくださっていると思うのです。

また一方で、赦されざる人を赦しているのは、神さまであり、わたしたちにもそんなところがあるという見方もありますよね。

どちらにも行けるようにしてくださっているところに、みんなで気がつく必要があるのかな?と思います。

拠点ではみんなで教えあうのが理想かもしれません。しかし実際の現場では、時間の制限がありますし、一番今の現場で場数を踏んでいる若い専従者の話が通りやすいというのは、避けがたいことではあります。

こちらも負けてやらねばならないし、親の顔を立ててやったり、未婚であればいずれ結婚できるよう、みんなで気を遣い、大切に育てるのであります。

そこは懐の深い成熟した、教師のご高配も賜りたいこともあるところであります。

一方で、そういうことを、家庭、子どものお世話のある身で考えることに、賛同できない人がいることも事実です。

しかし、子育てというのは、いずれその子どもたちが成人した頃、婚姻関係を結ぶ人が現れるのが当然でありましょうから、よき家系を作ること、という神さまの願いに沿って、社会のこと、世界のこと、これだけインターネットで世界中のことを全部くまなく見れてしまう現代において、親として救いの材料を集めることは、必至のことと思います。

子育てに関しては二代様が、ご経験を踏まえて、そのお手本となるお姿を示してくださったものが、遺されているのですから、わたしたちがその時代の人でなかったからといって、嘆かなくてもいいようになっているのです。

 

世の中には、悩み苦しんでいる人たちがたくさんいますから、そこのところに祝福がありますように、とわたしたちに集められたその想いを委ねさせていただくことが大切であると思います。

神さまを知らない人がこの世の中のほとんど、さきがけとして知らされたわたしたちが、何を犠牲にしても神さまの愛のもとに生きたい道を許してくださったのですから、そのことをお受けして、最初から100点は取れないかもしれませんが、その道に歩もうと決意して歩んでいくことが第一歩のように思います。

み心に叶わないことのように思うことも、有ります。

でもそれは、できなかったのですから、そこから、現界でご肉体を持たれた教主様の限界を知り、残念ではありますが、神さまのご都合に気づく必要があると思います。

 

明主様でさえ、急なご発展の頃、多くの人々の嫉妬に苦しまれ、溜飲が下がるまでほんとうの発展が許されませんでした。

あのイエスの先祖であるダビデ王でさえも、嫉妬と闘い、神に祈っていたさまが盛暑に遺されております。

真明様からは、嫉妬の無い人間などいないですよ、とご教示いただいている通り、誰の中にもあるのです。生き馬の目を抜く今の時代に、神さまの眼を通して読ませていただきます、との祈りもありますが、霊界と現界、そのどちらもを、この地上で成し遂げてくださった唯一の神主神を畏れていきたいと思います。

もっともわれわれが怖れるべきは畏れをわすれた姿であると、成井理事長が祭典でご挨拶くださっております通り、最高裁で裁判しているメシア教のわたしたち、真の信仰を見出だすために御用意してくださったその道を専従者信徒一同一丸となって、伝道の決意をさせていただきたいと存じます☺️

みろく出世せんとすとの明主様のご決意のお写真を拝させていただいたのですから、

神さまが現れてくださらなければ、なにも成し遂げられないことを胸に、わたしを通して光の主であるあなたに現れてくたさいますように、と、願いつつ、これからもそのみ心をお受けした方々とご一緒に歩ませ ていただきたいのです。

伝道の道を歩むにあたり、今の世の中、人を騙して詐欺行為を行う人間の多いご時世ではありますが、わたしたちメシア教では、世間と逆行して救いを成し遂げていくことを、神さまがお決めくださったのですから、たとえ世間的には疑わしいと思った通りことでも、神さまを知るために、自分を信じて、天国に立ち返り、霊主体従ともに、霊体一致の姿となり、世の中の秩序や社会もだんだんと薄皮をはぐようにかもしれないけれど、よりみ心に叶うようにととのえていただく御用にお仕えしてまいりたいのです。

春になったらしたいこと

こんにちは、マドレーヌです。

昨日、十字路にあるコージーコーナーで、色とりどりのマドレーヌが並んでいるのを見つけました🍀

夫はフィナンシェが好きで、それもよく分かるのですが、杏仁パウダーが入って絶妙な味わいのハーモニーを奏でるので。

マドレーヌは、色形連想するものが、楽しくて好きです。

最近お菓子は空腹を満たすものではなくて、みんなで過ごす時間を楽しむものに変わっているのを感じています☺️

お菓子を分け合う楽しさ、喜び、こんなにみんな楽しかったのか~、と思うほど、幸せに感じています。

子どもの時はお茶室で、かしこまって練り切りや葛ようかんを楽しみに並んで食べていたのですが、

お茶碗や掛け物や、お道具、お手前の勉強で、お茶、お菓子は添えものみたいな立ち位置だったように思います🍀

春になったら、川に桜の花びらが散りますね、それが群れを為したように流れるさまを、花いかだ、というんだそうです。

そんな景色を今年も楽しみに、無事之貴人という墨蹟の精神で日々精進してまいりたいと思います、いや、もう精進できました、と報告にしておきます🍀

次は今おぼえている着付けで、一度くらいは訪問着を、着こなしてみたいです🍀

冬枯れの野に春爛漫を想ふ

主のみ心が成し遂げられますように。

感謝と奉告

昨年沖縄に行って、ホテルのロビーでふと思ったこと、こんな立派なホテルだけど、純粋な利益追求だけでなく、寄附の愛の心で育まれた空間なのではなかったのかな?ということです。

『道は開ける』で有名なカーネギーなど、明主様は、子孫に美田を買わない米国人の気質を聖言に遺しておられるけれど。

沖縄で、基地の人々に対して、国民の血税で養われているという憤慨感情のことや、

婦女暴行に対するデモのことや、

一方でモンゴル800の歌った小さな愛のコンチェルト、にある、バス停で育まれた若い米軍人と日本人女性の愛の歌、

また、結婚に至らなかったのは、糸満市の激しい地上戦を知っているおばあたちが、とんでもないと反対していたことがあることを、地元出身のバスガイドさんの話で知りました。

子どもの時に家族でひめゆりの塔で、司令官の自決した場所や、ひめゆり部隊の少女たちの悲惨を見聞きして知りました。

沖縄には複雑な感情が入り交じっていることを否めませんでした。

ハワイにはバンザイクリフという、バンザイしながら日本人たちが集団自決した場所も有りますし。

今回の旅で変わったことは、米の軍人さんが家族で住んでいる様子に触れたことや、

同性の仲間の中で一人でいるように見える人にも、大切な人がいると、思えたことです。

彼らは魅力的ですから、香水の香りに気が遠くなってしまいがちですが、、、(笑)

今回は子どもがいたので、彼らの幸せをその場で祈ることができました。

ハワイで3人の軍人さんが、世界情勢緊迫の折、笑顔でホテルのプールに現れて談笑していた時も、お祈りしながら涙ぐんでしまうことが有りました。

まあ、冷静に調べると最近は日本も軍備拡大、戦闘機輸出や製造も企業はしますし、この前は中東が日本の生活用品の一部を武器に使用していることが、新聞に出ていました。

ただ、新聞で思ったのは、ソロモン諸島の自然を回復させることに、お金や心を使わせていただこうということです。

みんな戦争にお金を使っているけれど、そういうことがあることに、気付けたのは一歩大きな違いを生んだように思います☺️

わたしたち信仰者は、万物にお光がこもるように祈って扱ってきましたが、、、今回世界メシア教新年祭の真明様ご挨拶を賜りまして、何か起こる前に、感謝と奉告とをセットにして行うこと、大切と思わせていただいております。

かつては氏神様で知ったことですが、お礼参りというのは、中々わたしたちできがたい、だから、いつもだいたいお願い料1円にお礼料10円で合わせて11円参りしていました。

独身だった頃おみくじ箱に5000円入れて、中身みんな持ってかえろうとしたら、神主さんが慌ててでてきたことも有りました*1

氏神様にも向上が必要なところもあるみたいだし、信じられない事件の起きた神社も、お金に込められた想いが影響もしてるかもしれないし、日々注意することはたくさんあるな~と思います☺️

虎とはトラブらずに注意しながら楽しくやらせていただいた、一年でした、ありがとうございました🍀

聖なる愛という抱負も成し遂げられました、ありがとうございました🍀

*1:

たいしたことない、何があっても大丈夫

こんにちは☺️

精神浄化の子はとにかく寝かせることが大切です。

好きな音楽をかけて寝てごらん。

安心立命という言葉を知っているかな?

安心すると命が立つ。

明主様と、100万回言っていますか?

明主様さまは、あなたのこと、今一番………☺️

はい、ではがんばってね。

お産の思い出

明けましておめでとうございます🎍🎍

マドレーヌです🥰

子どもたちが可愛いです。

こんなに毎日話しかけてくれて、お布団に入って一緒に抱っこし合いながら眠り、それを12年続けて来ました。

この12年の間にお産育児の現場での変容にも接して来ました。

今は立ち合いや、産後すぐの家族の面会など当たり前ではないかもしれませんね。

臍の尾を立ち合い人がカットしたり、

わがまま言ってカンガルーケアをしたいとバースプランに書いたことが懐かしいです。

産院のベッドでカンガルーケアをすると、眠くなって落としてしまう危険性があるから、これからお産する人はぜひ気をつけてください!

ろうそく1本の灯りのもとで生みたいと言ったときは、危ないという理由で断られてしまいましたが、自然分娩について調べてみると、そういう気持ちが起きるのも不思議では無いことと思いますね!

ところで子育ての時期、北欧ブームが起こり、そういうテイストの雑貨やお店を楽しんでいました。

最近気付いたのですが、今は雑貨だけでなく、思想SISUとか、考え方みたいなものも、普及してきていたのですね。

気がついたら、楽しかった環境も一変していて、インターネットの影響ってすごいな、と感じています。

GDP国内総生産、各国が伸び悩む中、平等主義の中国だけはプラスで伸びているんですよね。それが驚きでした。

上皇ご夫妻がほとんど結婚当初から物をお捨てにならず、ユニクロをお召しになって暮らしておられたお話をテレビで聞いたことが有りますが、ほんとうに御神業を大切にしている方々は、大切な万物を守り養い育ててくださっているのですね。

そのことを、大切に御神業として受け止めて来ていたかな?ということを今朝思ったんです。

明主様は、上皇様とお誕生日が一緒でいらして、ご縁の深さをお書きになってありましたから、そのことは、案外大切なことだったんだ、とちょっと思ったんです。

わたしたち庶民は、一流品がそうそう手に入るなんてことは、あまり期待しないですから、普段使うものは消耗品と考えますけど、

明主様は、安いものを粗末にするのが、よくない旨おっしゃっていましたね。

わたしも断捨離の流行った頃、最初教会で催促されて御神意だと、思い込んで泣く泣くしたことが有りましたが、後悔しました。末端を捨ててしまうと、一番上も無くしてしまう、みたいなことが有るんじゃないかな?と少し思ったんです。

成し遂げられたことを、神さまに報告していないと、しなくていいことをさせられる気付きだったのかな?と今は理解しています。全部いいことだった、としてくださり、これでいいのかな?という迷いの中にいたわたしたちを赦してくださったみ恵みに感謝しています。

それも、教主様、真明様が現れて教えてくださらなければ、確信を持てなかったことです。

ほんとうは、神さまにとっては、良いことだった、と、この度改めて御教示賜ったことを、父母先祖と共にしっかり受け止めて行こうと思います。

正しい答えにたどり着くとだと、目の前が晴れてクリアーな視界になるから、良かったな、となれるんです😊

歪んだ認識も、悩んでないで、今大地震来たらどうしようか?という判断基準を持つと、ハッと意識が今のここの状態に戻ったりするものですよね。

人と人との関係特に男女の関係にしても、たとえば、名前のつかない、まあいいか、と思える関係、それでいい、そういう一言を今朝の新聞で見つけ、なるほどな~、と思いました。

わたしの身の回りでも、恋愛事情とか、結婚事情とか、人のことにあまり詳しいわけではありませんけど、昔みたいに、がっちり上司や親たちに気に入られて、仲人を介しての結婚というのは、滅多に見られなくなったように思います。

ではどんな在り方がうまくいってるのかというと、特別感は無いけど、いわゆるコンフルエンスラブとでもいうのでしょうか?割りと誰とでも気さくに関わる間柄を根底に持ちつつ、結婚生活を維持している様子を見受けるように思います。

わたしが子どもの時は若い時遊んでない人は結婚してから遊ぶと、うちに出入りしていた職人さんか誰かが言っていたけど、

後から思えば意外なことに男性のそういうことしたい時期と、女性のそういう時期とに、うまいことずれがあるみたいなんですよね。晩婚でも早婚でもいいところあるだろう、って思えるようなことが。

女性は自分の体から出てきた子どもですから、そういう時期も子どもを守ろうとする本能が優位に働くと思うんですよね。

だけど、最近思うのは、もっと基本的なことを知らない人が多いのかな?世の中の事件事故をみているとそんなことを、知らせたくなるのです。

わたしは、明主様に出会い、聖言を読んだからはっきり分かったのですが、恋愛による悲劇だとか、子どもが亡くなる理由とか、はっきり書かれているんですよね。

そんな神さまの研究が、全人類に早く進んだらいいな、と思うのです。

だって、わたしたちを最初に生んでお創りくださったのは神さまなのですから、本来は、病気も貧乏も争いも神さまのところへ帰るのが一番てっとり早いんですよね。

それには、岡田茂吉研究の本を信者でなくとも古本屋で手に入れれば信者でなくとも、知ることができるんですよね。

明主様の素晴らしいところは、身魂の高い人はそういった御神書に触れるとおっしゃって、拝読すれば、もうそれだけで、御神業に組み込んでくださる、そういうところがあるんですよね。こんなに簡単にそうしていただけるなんて、ありがたい話なんですよね。

そういうことを、時の教主様のもとで一緒にやっていける人がたとえひとりでも出てきたら、いいな、と思うのです。。。

 

聖言 神性人間 のみ心の一端に触れて

 

こんにちは、マドレーヌです🌼

コロナ感染が減らない中、世の中は静かなお正月を迎えていますね。

一説によりますと、自宅に籠る人が増える中で情報量が爆上がりしたための影響が何か出ているのだそうです。

そんな中、父は未だガラケー携帯を使用しておりますし、母は、スマホは持ったものの、インターネットの検索すら覚えておりません。

正直フレッツ光みたいなものも導入できず、通信料が上がりそうでちゃんと教え合ってこれなかったというのが、正直なところなのですが。お年でもう遅いと言いますか。。。

お化粧品でさえ、わたしはコロナで生活が落ちつくまで買えなかったのですから、察していただきたい。

 

コロナウィルス流行の少し前、教主様に尾行盗聴盗撮のような嫌なことをする、当然信徒に対しても同様なことをする、そんな宗教団体から、教主様が立ち上がってくださり、わたしたちを解放してくださいました。

知ろうとするから、知ることができない、知ろうとしなければ、知ることができる、そんなことがあるみたいなのです。

わたし自身、コロナ流行といっても、ずっと余裕で何にも怖くはなかったのですが、娘が最初に感染して以来、改めて、明主様のおっしゃる病気はみ恵みであることを、実感させていただいております。

 

そんな中、人間は忙しいとき、困難な時には間違えてしまうものなのだな~、と今朝気付いたのです。

実家は、インターネットをしないので、ほんとうによく父母はまめに万物に働きます。

帰省するとそこの椅子がじゃまだからどかそうとか、布団をこっちに敷いた方が広々するとか、お正月料理のお膳立てにしても、お茶を長くしていて、先生の資格も持っている母は、美にかなうことを分かっていてよくやるのです。

昨日は、母に、わたしが夫とケンカしているのか?尋ねられ、否定したのですが、ケンカしているみたいに見えるみたいなのです。

そういえば、父母はとても仲がよくて、昔から二人で杵と臼でお餅つきしているみたいに、感心するほど息が合っているのです。

気持ちのいい夫婦なのです。

若い時は試練も大きかったけど、憧れてしまうものがあるのです。

実はわたし、子どもの時には良くできる母にコンプレックスを抱きがちで、憧れだった清水の夫婦愛の美しい、仲人を良くした祖父母の姿に自分を寄せていったのです。

大きくなって結婚を考えた時、祖父の安心感のある愛をまずは得たくて、安らぎのある家庭を目指しました。

(体の弱かったおばあちゃんのお世話をおじいちゃんはよくしていたから。)

そんな中、娘も大きくなり、毎日おしゃれを妹と仲良く熱心にしている、そのことに付き合ううちに、自分も若返っていたようなのです。

神さまに出す御祈願書を、間違えてしまっていたようで、そのことに、今朝気付いたのです。

だけれど、そう簡単に間違えました、正しいのはこうです、と再送できない、万物の状況があるんですよね。

真明様がおっしゃるように嫌な上司がいて、帰りたくない、というのが、どこか根底に有るものですから、それが棒となって、御神意をお受けできていなかったのか、そのことを、先日先生にご指摘を受けました。

せっかくの勉強会のお話もリモートでよく聴こえず、途中を抜いて聞いてしまったのが、いけなかったのかな、と思うのですが、何か聞かせてもらえない、働きがあったのです🍀

教主様が、ある日の祭典のお言葉の中で、「奉告をさせていただいてなかったのではないでしょうか?」とお話くださったことが、ほんとうの気付きで、以来大切にしているのですが、奉告というのは、わたしたちが想像する上司にする昨日これをしましたとかいう報告というイメージの人間中心のものではなく、単にたとえば、神さま、あなたによって、わたしは人間とならせていただきました、言って、一対の魂としてくださったそのことをお見せして奉告させていただくことなのだそうです。

それは大変なみ恵みであると思うのです。

そのことがすでに成し遂げられたのです。

だからこそ、日常生活では、人類の救いのために、主の栄光に照らし出された影を強烈に見せられていなのです。

お受けできない思いも、多くの人類の想いでした、お返しします、とさせていただく。曇りを感じた時、お喜びください、多くの人類が天国に立ち返ってきました、と、神さまに申し上げる、そんな日々の実践が大切なのかな、と思います。

 

実は夫が何を考えているのか、分からないことがあるのです。

 

聞くと家族のこれからの予定を計画してくれていたり、必要な買い物をインターネットでしているようなのですが、

パソコンひとつでしているので、時々良からぬ想像をしてしまうのです。でもそれも良いことなのだ、と思うようにしているのです。

なんせ今は全部をご自身の元に立ち返らせて、第2段階の創造の段階だそうですから。破壊も始まったとのこと。誰の中にもあるものなのだけれどもね、という前提でお受けする、ことが大切なのだそうです。

ところで昨年のある日近所のママ友が、幼稚園バスの送り迎えの帰りに、日本は、天候の試練が大きいと驚いていました。

シンガポールは、一年中温かくTシャツサンダルで歩いていて、ネイルサロンも安くて全然ちがうのだそうです。

そういえば何年か前ハワイに行った時、服装の身軽でいられることに、ずいぶん楽だな~、と感じたものです。調節しなくていい気楽さと主との契約の証である虹を日に何度も見られる楽園ハワイはほんとうにすてき、ハワイを拓いてくださった明主様に心から感謝しています。

一方日本の歩みは、どうかといえば、

たとえば、茶道ともなれば、道具も多いし、炭に火を着けたり、木炭の入れ方ひとつにも順序と、なぜそういう所作をするのか、はっきりとは明かされなかった決まりごとがあって、日本の生活って、ほんとうにまめまめしいものだな~、と思うのです。

現代社会ではほとんど実行不可能とさえ思える節もあるのです。

子どもの時、静岡の祖父母のうちに帰ると、あ~、人間らしい暮しだなあ、日本家屋のこういう暮らしがまともな人間性を培うのだなあ、東京はすごいな~、と子ども心にも感じたものです。

祖父はひとり早起きして、庭の手入れをする、昼間は裏の流しで食事の合間に刃物を砥石できれいに研いでおく。

お風呂ばのタイルの隙間にカビが生えるのと分かると、ある日硯ですった墨を、そこに塗っていたのに驚いたことが有りました。

祖母は来客をみんなで座ってもてなす、物を上げたり、買い物してもらったり、互いのできない点を補い合い助け合いながら、暮らす。

縁側にやってくるクリーニング屋さんもいつも機嫌が良かったり、祖母もシーツや祖父のワイシャツを惜しみ無くクリーニングに出していたり、そんな明るい暮しが大好きでした。

お庭で枯れ葉を祖父と半日も1日も掛けて木々の足元に集めた後は、車停めで、アルミで包んだジャガイモやさつまいもを、焼いて、それもお手製の竹で作った火吹きで吹きながら火を起こして、楽しかったのです。

弟が生まれれば弟の木である松を一緒に植えて、小さなその苗が踏みつけられないよう、細い竹で屋根をつけてやったり、そんな細やかな気遣いが野蛮な獣性を、人から抜いていたのだと思うのです。

魚を主に食べる土地柄も有ったとは思いますが、武内の宿禰みたいでなんだか楽しかったのです。

朝おじいちゃんは早起きして、石鹸の匂いのする清潔な手で、果物ナイフで何かしらわたしの喜ぶ果物を切って嬉しそうに食べさせてくれるので、その暖かい心を今でも忘れないのです。

そんな心のゆとりを、この今の現代社会でも、育てていきたいのです。

 

ハレルヤ、amen🌟👼❄️🌈🌴