SeijyoMadorenu’s blog MIEKO

身近な平和から、日常生活に発見した神の子メシアとして永遠の命に生きる喜び、感謝

信仰について

こんにちは、マドレーヌです。

信仰について、分からないからできない、と考える人がいますが、分からないながらもさせていただこう、という心を大切にすること、それから、もし、分からない原因があるのならば、その原因の世界というのは、天国なのですから、そこに立ち返ることが、大切であると思います。

教える人はその人の立場やその人が負っているものがあるから、そこが見えないと

、なぜそういうことが言えるのか?となることもあると思うのですよね。

わたしの場合も、教団が出してきた方針に従い、その時の教主様や代行者の方々と救いの御用に歩ませていただこう、とやってきたのです。

けれど神さまはそういった大型拠点中心の在り方だけではなくて、家庭で養いを受けている人々にも、相応しい養いとその人にしかできない救いを用意してくださっていると思うのです。

だってそう思わなければ、ただ拠点に行った回数が多い人だけが、神さまのみ心に     叶ったということになります。

その結果誰がお受けした、誰がお受けしなかったという世界になりますよね。

 

そうではなくて、世界中どこにいても神さまはそこに働いておられるのだ、と認めること、建設の御用にお仕えすることが、大切だと思うのです。

そういうところに人を思う心が育つと思うのです。

もちろんお受けするのに、大型拠点に参拝することに越したことは無いのかもしれませんが、そのことに懐疑があるのであれば、そこを今赦してくださったのですね、とお受けする道も用意してくださっていると思うのです。

あいつが憎い、という感情を救いとしておられる神さまがおられるのです。

赦されざることをしている人をわれわれ人間が許さなくてもいい道を神さまは用意してくださっていると思うのです。

また一方で、赦されざる人を赦しているのは、神さまであり、わたしたちにもそんなところがあるという見方もありますよね。

どちらにも行けるようにしてくださっているところに、みんなで気がつく必要があるのかな?と思います。

拠点ではみんなで教えあうのが理想かもしれません。しかし実際の現場では、時間の制限がありますし、一番今の現場で場数を踏んでいる若い専従者の話が通りやすいというのは、避けがたいことではあります。

こちらも負けてやらねばならないし、親の顔を立ててやったり、未婚であればいずれ結婚できるよう、みんなで気を遣い、大切に育てるのであります。

そこは懐の深い成熟した、教師のご高配も賜りたいこともあるところであります。

一方で、そういうことを、家庭、子どものお世話のある身で考えることに、賛同できない人がいることも事実です。

しかし、子育てというのは、いずれその子どもたちが成人した頃、婚姻関係を結ぶ人が現れるのが当然でありましょうから、よき家系を作ること、という神さまの願いに沿って、社会のこと、世界のこと、これだけインターネットで世界中のことを全部くまなく見れてしまう現代において、親として救いの材料を集めることは、必至のことと思います。

子育てに関しては二代様が、ご経験を踏まえて、そのお手本となるお姿を示してくださったものが、遺されているのですから、わたしたちがその時代の人でなかったからといって、嘆かなくてもいいようになっているのです。

 

世の中には、悩み苦しんでいる人たちがたくさんいますから、そこのところに祝福がありますように、とわたしたちに集められたその想いを委ねさせていただくことが大切であると思います。

神さまを知らない人がこの世の中のほとんど、さきがけとして知らされたわたしたちが、何を犠牲にしても神さまの愛のもとに生きたい道を許してくださったのですから、そのことをお受けして、最初から100点は取れないかもしれませんが、その道に歩もうと決意して歩んでいくことが第一歩のように思います。

み心に叶わないことのように思うことも、有ります。

でもそれは、できなかったのですから、そこから、現界でご肉体を持たれた教主様の限界を知り、残念ではありますが、神さまのご都合に気づく必要があると思います。

 

明主様でさえ、急なご発展の頃、多くの人々の嫉妬に苦しまれ、溜飲が下がるまでほんとうの発展が許されませんでした。

あのイエスの先祖であるダビデ王でさえも、嫉妬と闘い、神に祈っていたさまが盛暑に遺されております。

真明様からは、嫉妬の無い人間などいないですよ、とご教示いただいている通り、誰の中にもあるのです。生き馬の目を抜く今の時代に、神さまの眼を通して読ませていただきます、との祈りもありますが、霊界と現界、そのどちらもを、この地上で成し遂げてくださった唯一の神主神を畏れていきたいと思います。

もっともわれわれが怖れるべきは畏れをわすれた姿であると、成井理事長が祭典でご挨拶くださっております通り、最高裁で裁判しているメシア教のわたしたち、真の信仰を見出だすために御用意してくださったその道を専従者信徒一同一丸となって、伝道の決意をさせていただきたいと存じます☺️

みろく出世せんとすとの明主様のご決意のお写真を拝させていただいたのですから、

神さまが現れてくださらなければ、なにも成し遂げられないことを胸に、わたしを通して光の主であるあなたに現れてくたさいますように、と、願いつつ、これからもそのみ心をお受けした方々とご一緒に歩ませ ていただきたいのです。

伝道の道を歩むにあたり、今の世の中、人を騙して詐欺行為を行う人間の多いご時世ではありますが、わたしたちメシア教では、世間と逆行して救いを成し遂げていくことを、神さまがお決めくださったのですから、たとえ世間的には疑わしいと思った通りことでも、神さまを知るために、自分を信じて、天国に立ち返り、霊主体従ともに、霊体一致の姿となり、世の中の秩序や社会もだんだんと薄皮をはぐようにかもしれないけれど、よりみ心に叶うようにととのえていただく御用にお仕えしてまいりたいのです。